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テスト

 投稿者:琉球松  投稿日:2018年 8月29日(水)13時45分41秒 sp49-104-40-58.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  管理用テスト  
 

ブラタモリ

 投稿者:琉球松  投稿日:2016年 4月21日(木)13時13分54秒 ai126175117195.27.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
   波上宮の主祭神は「いざなみ・はやたまを・ことさかを」の3神ですが、相殿神としての「少彦名神」は興味深いですね。

 ところで、先日のNHK『ブラタモリ』で同宮本殿の後ろ側(海側)に御嶽があるのを紹介していました。ここが「ハナぐすく」と呼ばれた事からすると、ニライカナイへの拝所なのでしょう。

『おもろさうし』巻10-527 より
*** いしらごは おりあげて
    ましらごは つみあげて
    なみのうえは げらへて
    はなぐすく げらへて
    ものまいり しよわちえ
    てらないり しよわちえ ***
 

世界平和祈願

 投稿者:玉 麗  投稿日:2016年 4月17日(日)22時29分58秒 p311137-ipngn200404yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  イチカジソウコウさま
ご無沙汰です。最近は雷やイナビカリがすごいですね。名護先生は只今執筆中のご様子です。
世界は目まぐるしくかわりますね。世界平和祈願のために波の上宮にてご一緒にお祈りでもしませんか。
いつごろ、どんな感じで行きますとか、教えていただければ、探してみます。
 

お久しぶりです。

 投稿者:イチカジソウコウ  投稿日:2016年 4月17日(日)20時24分27秒 e0109-106-188-28-47.uqwimax.jp
返信・引用
  ご無沙汰しています。イチカジソウコウです。
赤椀の世直しについていろいろ勉強させてください。
私のブログも新しく作り直しました。皆さんぜひともご覧ください。

http://soco0909veritas58blog.ti-da.net/

 

Re: ご無沙汰、深くお詫びです。

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年11月11日(水)10時45分30秒 ai126215008076.1.access-internet.ne.jp
返信・引用
   名護先生

 とりあえず、宮古系の掲示板『くまから・かまから』に転載してみました。
 宮古の皆さんの反応はどうか、気になるところです。
 

ご無沙汰、深くお詫びです。

 投稿者:名護  投稿日:2015年11月10日(火)10時55分53秒 softbank221096125149.bbtec.net
返信・引用 編集済
   「良い意味のわけ」あって、すっかり(1年以上)ごぶさたしていました。
良い意味とは、「赤椀の世直し」が沖縄・ヤマト・日本に限らない前史があるらしい、と気づき、それをどのようにつなげ深めていくか、という難題(宝の山? 笑)に会い、悪戦苦闘していたからです。まだ前途が開けたというわけではありませんで、とても一人で手に負える課題ではないと気づいたのです。
 そこで一人でまとめるという前に、懇意の東京の出版社を通じて広く呼び掛けができないか、ということで、去年の夏に示しました10数枚のプレゼンのプレートに追加していって、100枚を超える「図説版」として多くの関心ある方々に示してみようと思案。そのための「ご挨拶」みたいな以下の文書を一枚にまとめたところです
****
****

まえがき(プレゼンテーションのねらい):

  著者は先に『邪馬台国綜合説 赤椀の世直し』を上梓し、古代ヤマト(国)の成立には奄美・沖縄が深く関わっていたこと、その古代ヤマトの成立は、(a)屋久島以南の深い海でしか採れない巻貝のゴホウラ、(b)九州弥生時代の赤色の須玖系土器、(c)青銅鏡の三つを象徴とする世直し、すなわち一種の革命運動によるものであったことを、奄美・沖縄の古代的祭祀の神歌を主とする民俗資料や考古資料などを用いて説いた。その後それを裏付け、深化・拡大・発展させる以下のような新しい発見と気づきがあった。
(1) 沖縄の祖神(女神)アマミコが造ったとされる最古のグスク、タマグスク(城跡)は、ゴホウラを「精密な設計図」として造られ、太陽とゴホウラ(護宝螺)の関係性を教える施設であったらしいこと。
(2) 沖縄の神歌の赤椀(赤銅がね)の世直しは、宮古島では「大皿(うぷざら)の世直し」に変化している。それはまた「黄金の皿」でもあり、「天照大神が仕立てた」とも読め、宮古島の世直し大皿は三角縁神獣鏡を示唆しているように思われる。周縁を断面三角に盛り上げた銅鏡は、皿様の酒器になる。現代の宮古島で使われる酒器は、「角皿」と皿と言いながら実物は沖縄島と同じような木製の椀状のものになっている。それはそれで、「角二つ・足四つ」とも言われるから、やはり世直しといわれたスイジガイの形を反映している。三角縁神獣鏡にちかい皿状のものは失われたのであろうか。沖縄島では三角縁神獣鏡以前の漢鏡が数枚出土しているから、宮古島の何処かで古墳時代の三角縁神獣鏡の欠片が見つかる可能性があると思う。ヒミコの後継イヨの母権政権が古墳前期末にヤマトの宮古を追われ、亡命先の宮古島でそれを使う女神祭祀を代々伝えたのが今の宮古島の祭祀の起源である可能性がある。沖縄島と宮古島の神歌を比較すると、前者が九州時代の、後者は奈良・宮古を中心とする古墳時代前期の神祭りをそれぞれ色濃く継いでいることがわかる。
(3) 護宝螺の宝螺とは中国語でタカラガイのことで、銭(貨幣)として使われた宝螺(タカラガイ)は銭(幣)宝螺で、一方宝螺(タカラガイ)は護符としても使われたらしいので、護符としての宝螺は護宝螺と呼んだのであろう。したがって護宝螺は文化史的にはタカラガイの一種である。
(4) 故に、護宝螺を使った倭国の世直し(革命)は、中国のタカラガイ使用の歴史・伝統につながり、さらにそれは西アジアの8000年前ごろの女神の目に使われたタカラガイにつながる可能性がある。
(5) 中国由来の饕餮(とうてつ)紋は、タカラガイなどの巻貝の切り口の文様に由来する。すなわち饕餮は巻貝の精霊であり、伝説の西王母のシンボルであろう。そうであれば、宝螺を使った革命(宝螺革命)は、日本でも正史からは抹消されているように、中国でも初期国家の「夏・殷・周」以前の最初期段階で宝螺革命があったことを示唆し、それは宝螺をシンボルとするする西王母革命、母権革命と言い換えることができよう。宝螺を使う伝統は世界的なものであったから、宝螺革命も世界につながる可能性がある。
 このように、琉球諸島を排除せずに古代日本を論じることは、東西両アジア、さらに世界を正しく論じることにつながる。様々な学問分野の人々の協業による解明が求められる。原初ヤマト国家形成は女性・女神を核とする世直し(革命運動)によるものであった。この認知が真っ当な史観形成の第一歩となるであろう。
******「文書」以上
 

Re: 奄美に旅しました。

 投稿者:玉 麗  投稿日:2015年10月10日(土)09時33分59秒 p3200-ipngn100202yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.2383[元記事へ]

>  久しぶりです。
>  先日、友人らと奄美、宇検村湯湾へ旅しました。役場の学芸員が案内人。目的は沖縄の4大門中の馬姓門中の起源をたどる?旅でした。湯湾大親の足跡をたどるのが目的。初めてでした。琉球弧の文化圏ということが良く分かります。キリスト教はカトリツク教会が多いです。face bookに写真掲載しています。

お久しぶりです。
親戚が湯湾にいます。天孫降臨は湯湾岳ともいわれています。

奄美の大和村には、君が代も伝わっています。
https://www.youtube.com/watch?v=s8c4Y2USU4Q

 

奄美に旅しました。

 投稿者:與湾 健  投稿日:2015年10月10日(土)09時14分25秒 softbank126084251178.bbtec.net
返信・引用
   久しぶりです。
 先日、友人らと奄美、宇検村湯湾へ旅しました。役場の学芸員が案内人。目的は沖縄の4大門中の馬姓門中の起源をたどる?旅でした。湯湾大親の足跡をたどるのが目的。初めてでした。琉球弧の文化圏ということが良く分かります。キリスト教はカトリツク教会が多いです。face bookに写真掲載しています。
 

三角縁神獣鏡と宮古島

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年 9月23日(水)14時32分22秒 ai126215143062.1.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
   久しぶりに名護先生から電話がありました。とても元気そうで安心したところです。

 三角縁神獣鏡と宮古島の「ウプザラ(大皿)」との関係を記した資料を郵送してくださるとの事でワクワクですね。
 中国ではほとんど出土しない三角縁神獣鏡は主に畿内のものであり、しかも邪馬台国の時代を下がる古墳のものですから、いわゆる "卑弥呼の100枚の鏡" ではないのでしょう。

 なぜ宮古島なのかは資料を見ての楽しみで「チヌザラ(角皿)」とも合わせ、西日本から宮古八重山へ逃れて来た人々の信仰を知る手がかりになりそうです。

画像は、宮古大神島遠景
 

玉グスクの巨人神話

 投稿者:玉 麗  投稿日:2015年 8月 3日(月)07時38分58秒 p5020-ipngn100202yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  琉球松さん こんにちは
玉グスクの巨人神話
「巨人が玉子を産んだ。その玉子は辺野古へ落ちた。」この卵生伝説はかなり重要なポイントです。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------
龍城国 即琉球である。浜名寛祐著契丹日本史 (株)日本シェル出版 366頁
春秋時代、琉球は大陸と繋がっていた。(陸続きであった。) 紀元前770年ごろ

『脱解曰く:「私は本来は龍城国の人(または正明国という。あるいは?夏国、?夏、あるいは花廈国ともする。(龍城は倭の東北一千里に在る)。我が国ではかつて 二十八人の龍王が人の胎内から生まれ、自ら五~六歳で王位を継承し、万民に正しい生き方を修めさせた。而して八品の貴姓があるが、競い合うことなく、皆が王位に登った。)』

*しばしば脱解王が日本人であるという説はここから来ている。韓国の歴史でもそう解釈する傾向にある。しかし、日本に卵生伝説はほとんどなく、朝鮮での創作であるとみる。なぜなら、鉄の鍛冶技術は倭国から朝鮮への転移は真逆だと考えられるからである。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------

古代の契丹という国、シンボルは牡丹のお花と獅子のようです。高倉健さんの 唐獅子牡丹的ではありますが、古層の人達に伝わった契丹の面影は、琉球の首里城ではお正月の準備として牡丹の絵を新しく描くそうです。現在の琉球は大陸であったころの琉球が沈没してしまったその一部かもしれません。太古から海に沈まなかった場所が現在の琉球と思われます。400年まえは大切なものは殆ど破壊されたようなお話もありましたが、断片的に残された伝承を繋ぎ合わせていけば沈んだ大琉球の歴史が浮上するかもしれませんネ~。

浜名寛祐著 契丹日本史 は矢切止夫氏が復刻した本ですが、矢切止夫氏は満州から引き上げ時に契丹古伝の原本を荷物ごと押収され紛失したため、かろうじて浜名寛祐著で解説をしたと書かれております。また第二次世界大戦後、こういうたぐいの本を焚書にしたこともあったそうで、日本の古本屋さんで手に入る場合もあります。



 

Re:玉城の巨人神話

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年 8月 2日(日)13時21分17秒 ai126215014150.1.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
   最近、名護先生の投稿がなくて心配しています。
 名護先生! たまには元気なコメントで健在ぶりをアピールして下さ~い。

 この神話は聞いたことありませんが、「卵」というからにはアマミコは確かに女性で、"大きな仕事" をされた方々なのでしょう。『おもろさうし』にも「島々(奄美&沖縄諸島)」を造ったとありますね。
 これらの神話群に共通するのは、巨人(アマミコ)が "跨ぐ" 事によって死に至るとか、何か印象的な事件を伝承していることなのでしょう。
 沖縄島石川(うるま市)の伝承では「アマミコが金武湾を跨ぐのに失敗して溺れ死ぬ」っていうのがあって、その骨は浜比嘉島にたどり着いたとされていますし、粟国島から渡名喜島へ跨げずに死んだとの話もありますね。

 ここで興味深いのは、ゴホウラ貝を象徴するであろう「玉」のグスクと辺野古の関係ですね。
 玉城グスクと交わる?ことで冬至の太陽の子を懐妊し、夏至の太陽を迎えるであろう辺野古の海岸で出産するという事なのでしょうか? 「卵を産む」話は古代朝鮮半島との関係があるかもしれません。

 辺野古のキャンプシュワブには複数の弥生遺跡が存在しますが、これらは「神武即位」の頃の東アジアの状況を解明するのに重要なのでしょう。出産の状況を思わせる母子の遺骨が出土した宇宿貝塚遺跡(奄美市)との関係も気になるところです。
 「神武=イワレビコ(石製の鋳型から生まれた銅鏡?)」とは、貝を通貨としていた中国四川省あたりから長江を経て九州に渡来した稲作集団ではないでしょうか? 彼らの母「玉依姫」は薩摩半島で出産してますが。。。

 女王を拝する集団が辺野古などヤンバルを目指して南下したであろう事は、奄美群島の神歌や祭りの日取りなどから推測できます。

画像は、伊良部島佐良浜の「大主神社(ウハルズ御嶽)」。。。本文とは関係ありません。
 

玉城の巨人神話

 投稿者:玉 麗  投稿日:2015年 7月28日(火)14時07分34秒 p5020-ipngn100202yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  琉球松さん 君が代のお話ありがとうございます。

玉城の巨人神話を、すこし名護先生へ聞きました。
巨人がタマグスクをまたいで玉子を産んだ。その玉子は辺野古へ落ちた。
辺野古は古代日本を解明する鍵がある。とのことですが、巨人伝説と玉子のお話の伝説をもう少し聞きたいのですが、
名護先生か琉球松さん、よろしくお願いします。

 

君が代

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年 5月30日(土)10時43分31秒 ai126215131170.1.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
  玉 麗さん、どうもどうも。

 名護先生は「君が代」について、以下のように書いています。

*** 「君が代」が「神が代」と対になっていて「君」と「神」が同義であることを示しています。
 この神歌に出る神の起源は、九州を中心とする日本本土から、世直しの思いを抱いてゴホウラ貝などを採りにきた人々のことであることは、「直す」という言葉や、もともと「赤椀の世直し」に付随した「ヤマトから下る・端盛らし・昔あたること」などからも推測できます。
 これらのことから「君が代・神が代」は、「世直しの時代」あるいは「世直しが実現された理想の時代」という意味であり、「君の世の御高」とは、そのような「世直しを目指した志操高い人々の時代」という意味になるでしょう。
 さらに「君」は女性であることが重要で、天皇を意味する「君」の起源でありましょう。***

『南島歌謡大成 沖縄編上(角川書店)』より「五月お祭りのおもろ(久米島)」 *抜粋
*** 今日のゆかる日(今日の良き日)今日まさる日(今日勝る日)
    たきがくちうさがて(嶽口に押上がって)むういがくちくまがて(森口に踏上がって)
    いちちなはむいぐすく(伊敷索森城)あじはぢみ(按司始め)やはじみ(や始め)
    国立て召ち(国建てなさって)世立て召ち(世建てなさって)いちちなはあじ(伊敷索按司)
    昔あたるごとに(昔あったように)きさしあたるごとに(世の始めにあったように)
    うしわかうえぬのろ(ウシワカ親祝女)さとのし(里主が)
    やじゆくひち(やじゆくを引いて)やしちゆひち(真人を引いて)
    (略)
    やまとからくだる(大和から下る)やしろからくだる(山城から下る)
    なんざおしやく(銀御酌を)黄金おしやくうさぎて(黄金御酌を押し上げて)
    いちかきのうしやく(五掛けの御酌)七かきのうしやく(七掛けの御酌)
    いちかきのむすり(五掛けに結んで)七かきのむすり(七掛けに結んで)
    (略)
    君が代の御願(君の世の御願い)神が代の御願(神の世の御願い)
    みまぶやい給り(見守って下さい)養やい給り(養って下さい)
    迎へる世の御願(迎える世の御願い)わがまちり御願(我が祭りの御願い)
    いしちゅらーが御願(石清ら「稲」の御願)ぶしやちゆらが御願(菩薩清ら「稲」の御願)
    (略)
    君が代のうたか(君の世の御高)神が代のうたか(神の世の御高)
    うさぎらばとはく(押し上げたら千年)みやぎらばやはか(差し上げたら八百年)
    御護やい召り(見守って下さい)養やい給り(養って下さい)
    すいまもおい(首里真森) ままだひおい(真玉森)
    しぢやが代が御願(衆生の世の御願い)うふじにーが御願(大君の御願い)
    (略)
    島栄たぼり(島栄え下さい)国栄えのたぼり(国栄え下さい)
    わぬ神の御祝(我が神の御為)わぬしじの御祝(我がジジの御為)
    拝まりる御ゆい(拝まれる御為)てじらりる御ゆい(手摩られる御為)
    御守護やい召り(見守って下さい)養やいたぼり(養って下さい) ***
 

やんばるの祭りと神歌

 投稿者:玉 麗  投稿日:2015年 5月24日(日)12時41分32秒 p5020-ipngn100202yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  琉球松さん ごぶさたです。
『やんばるの祭りと神歌(名護市教育委員会)2003 』にある御真人のお話すごいですね。
昨年から琉球において、神々のことを取り上げる方々に多くお目にかかります。

西暦2000年から、もう15年も過ぎたのですが、ある方のお話では、世界は2000年ごとに変化する、ということでした。最初の西暦2000年に沖縄サミットが行われた時、世界各国から参加した首相の席におかれたパンフレットがありましたが、最近になってその意味を教えてもらいました。

昨年、長伊平屋節(琉球古典音楽)が神武天皇を指している様な気がする。と思わず口にしたことが、

「続 日本史「超」どんでん返し 沈んだ大陸スンダランドからオキナワへ
この民族大移動を成功させた《天つ族》こそ、日本人のルーツ! 単行本(ソフトカバー) ? 2014/8/28大宜見 猛 (著), 飛鳥 昭雄 (監修)」の本を刊行する切っ掛けになりまして、それを読んだ方が尋ねてきた折り、沖縄サミットのパンフレットの内容を教わりました。

それは、神武天皇のお話や諸々、ですが、沖縄には深いものがいろいろあるのですね。その封印がそろそろ二千年の時空を超えて開かれようとしているかのようでした。こう考えてみるとき、真のものは、必然的に長い年月を経て浮上してゆくものでしょうネ。

あがり(東)まーい とか、今帰仁まーい とか、神人はことさら、御嶽や口伝を大切にしていますが、そういう人々が言うには、「琉球の神々が総立ちになる。」 と、それを信じているようです。
考えてみると、そうかもしれませんネ。

そのサミット用のパンフレットに、君が代のもとになるものとして、
石なぐぬ 石ぬ うふ石なるまでん という かじゃでぃ風節 の 歌詞の意味を掲載していました。

赤椀の世直しサイトで消滅してしまった、久米島の神歌「君が代は 神が代」の長い うむい の神歌も、君が代のもとになっていると思われます。掲載されたサイトが消えてしまい残念に思いましたが、「南島…なんとか」という重たい本から、やっとその神歌を見つけました。

赤椀の世直しは、これからはじまるのでしょうね。










 

Re: 沖縄県民大会

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年 5月24日(日)10時21分40秒 ai126215006233.1.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
  玉城レイ子さん、久しぶりです。

 「しじ」と言えば、名護市大浦の神歌『神うむい』を思い出しました。
  あの日のセルラースタジアムは、まさに「御真人が拝んで」でしたね。

『やんばるの祭りと神歌(名護市教育委員会)2003 』より
*** かみがみち オーイあきてぃ(神の道を開けて)
    オーイあきてぃ(開けて)
    オーイアーサ
    しじかみがみち オーイあきてぃ(シジ神の道を開けて)
    オーイあきてぃ(開けて)
    オーイアーサ
    オーイオーイ おだむとぅ(アウの神座に)
    やじくひき オーイちりで(ヤジク神を引き連れて)
    オーイちりで(連れて)
    オーイアーサ
    うまんつゆぬし オーイうがでぃ(御真人が拝んで)
    オーイうがでぃ(拝んで)
    オーイアーサ ***
 

沖縄県民大会

 投稿者:玉城レイ子  投稿日:2015年 5月18日(月)10時18分25秒 p5020-ipngn100202yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  昨日那覇市の沖縄セルラースタジアムで開かれた沖縄県民大会のスピーチがすごかったです。
動画でしか参加できませんでしたが、ウチナーも凄い。今迄とは雰囲気が異なり、オールオキナワという言葉とともに沖縄県はまとまってきました。
佐藤優さんのスピーチでの、「ニライカナイや おぼつかぐら」の神々の しじ(精霊)も数えられないくらい参加している。という内容は特に感動的でした。

下記動画にて小さな沖縄島に住んでいる沖縄の住民の声を御聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=Or_LgIHiXIE



 

Re: はじめまして

 投稿者:宝玉麗  投稿日:2015年 5月16日(土)09時38分26秒 p5020-ipngn100202yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.2373[元記事へ]

> はじめまして。イチカジソウコウと申します。いろいろお勉強させてください。宜しくお願いします。

イチカジソウコウ様
名護先生のサイトへようこそ。

昨今は不穏なご時世というか、世の中どう変わってゆくのでしょうネ。
イチカジさんは沖縄へお住まいですか。

沖縄はほんとに深い歴史が沢山ありますネ。過去を参考にしつつの発掘作業、楽しみです。

最近名護先生にお伺いしたお話によりますと、南部のタマグスク御嶽の門は巨人伝説と関係あるというらしいです。
そして神話か伝承と思われますが、巨人が琉球をまたいだときに産み落とした玉子が、辺野古の海に埋もれている。
という内容でした。そこはたしか うふまた?遺跡と呼ばれていたそうで、発掘すると日本古代の遺跡がありそうだ。という事でした。詳しくは名護先生に解説をお願いしたいと思います。

沖縄は開拓されつくして、軍艦島のようにならなければと、心配しております。
そうなってから世界遺産になっても、仕方ないとおもいます。

名護親方の残した「琉球いろは歌」を最近において再度発信しておられる方から大切な遺構がこわされたお話などお伺いしました。
琉球の歴史は、ウェブサイトよりも、直接輪になってのお話の方が楽しみが増えそうな気がします。

今日と明日は波の上のお祭りです。午後1時ころからチビッ子角力があります。
明日はもっとイベントがありそうで、屋台なども並びます。
よろしかったらお祭りでもご覧ください。

名護先生は夏至の時に沖縄へ見えられるようです。タマグスクの夏至にまつわる解説など、名護先生からお伺いしたいと思っております。

これからもよろしくお願いいたします。

 R.t.









 

はじめまして

 投稿者:イチカジソウコウ  投稿日:2015年 5月16日(土)01時43分49秒 e0109-106-188-102-213.uqwimax.jp
返信・引用
  はじめまして。イチカジソウコウと申します。いろいろお勉強させてください。宜しくお願いします。

http://socoichikaji0909.ti-da.net/

 

「善ちゃん兄さん逝く」

 投稿者:与湾 健  投稿日:2015年 5月 7日(木)08時44分25秒 softbank126084247142.bbtec.net
返信・引用
   皆様久しぶりです。外間さんとは那覇甲辰国民学校隣接の同じ長屋に住まいしており、兄や姉の幼馴染でした。私は昭和19年最後の甲辰の入学です。10.10空襲の翌年大分へ疎開、沖縄戦は体験していません。私も大学で社会科免許取得のため歴史を多少勉強、そのころから外間さんの「おもろさうし」は目に留めておりました。批判もありましたが、外間さんの功績は大ですね。特に、沖国大の眞喜志先生の批判は辛辣でした。宜野湾時代に近くに住まいしていて何度かお会いした時のお話ですが。私事ですが、去年現役引退、中城南上原の自宅住まいしております。  

Re: 新羅は倭の属国である

 投稿者:琉球松  投稿日:2015年 3月21日(土)11時53分9秒 ai126215011194.1.access-internet.ne.jp
返信・引用
  ライダイハンさん、始めまして

 この掲示板では誰も「琉球の起源は韓国ニダ!」とは主張していません。
 まあ、琉球圏には古来から倭や新羅、中国大陸から人々の移動がありますから、一理あるとは思いますが。。。
 それも琉球王国成立以前の話で、律令体制あたりから多くの亡命者が日本から南走したと考えられますね。
 特に、瀬戸内海の海賊の一部は、琉球王国成立に関わったのでしょう。
 

新羅は倭の属国である

 投稿者:ライダイハン  投稿日:2015年 3月20日(金)10時30分46秒 s2037013.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
返信・引用
  今度は「琉球の起源は韓国ニダ!」ですか(爆笑)
今時、韓国起源説なんて流行りませんよ。皆呆れてますから。
その理屈で言えば、新羅の起源は日本だということになりますよ。
朝鮮半島最古の歴史書である三国史記と三国遺事には、「新羅の国王脱解と瓠公は倭人である。倭国から海を渡って来た」と明記されていますから。
 

宝貝のこと

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 9月 7日(日)11時18分20秒 ai126241011034.tik.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
   柳田国男は、中国における「宝貝」の原産地を琉球列島ではないかと疑っていたようですね。

『海上の道(岩波文庫)1978 』より
*** (中国の)中原の王者は、万策を講じて遠い海の果てからこれをたぐり寄せ、或はまたこれを無形の武器として、洪大なる地域を征服し得たのも、すでに悠々たる三千年以上の昔のことである。この第一期の財宝の原産地が、はたして世界に幾つあったか、私たちはまだ究めることができずにいるが、少なくとも支那で東夷といいまた東夷といった方面において、その最も明らかな痕跡を永く留めたのは沖縄の諸島である。輸送が江淮の間に限られず、供給のますます豊富になって後まで、価値のようやく賤しきを思いつつも、なお莫大なる輸出をしていたのが、この洋上の小王国であった。***
 

真方衆

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 8月21日(木)10時04分25秒 p1243-ipngn100103yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  田中さん、ご教示ありがとうございます。

 「真方衆」は知りませんでした。偶然ではないかもしれませんね。
 紹介した名護先生の一文は5年くらい前です。重要と思われるものは保存しまくっていますよ。

画像は、奄美大島と徳之島の「針突」・・隼人との関係あるかも?
 

Re: 隼人と穢多と真方衆

 投稿者:田中  投稿日:2014年 8月21日(木)00時40分21秒 softbank221055049197.bbtec.net
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  琉球松さん、掲載どうもありがとうございます。

この文は「あの本」にはありませんね。消えたホームページにあったのでしょうか?それとも他の書籍?

黒い人はタガログ語で itim na mga tao となり、この音は真方衆(マガタンシ)との関連も気になります。
 

Re: 隼人と穢多

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 8月20日(水)14時46分45秒 ai126215007055.1.access-internet.ne.jp
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  田中さん

 これは、今日でも重要な課題ですよね。
 名護先生の一文を紹介しますが(一部省略)、「隼人」とのつながりあるように思います。

*** 香川県には百襲姫を祭る神社があり、大きな「部落」もあると聞いている。
 百襲姫と、いわゆる「部落」は深い関係があり、前期古墳の成立も深い関係にあると思っている。従って、いわゆる「部落」と前期古墳も関係があるであろう。というより、前期古墳を造った人たちは「部落」の祖先たちである。
 この仮説は十分検討に値する重要問題であると思う。おおまかにいえば、前期古墳の分布と「部落」の存在する範囲は一致するとみてよい。
 沖縄は、原初ヤマトの成立に欠かせない存在であった。これは『総合説』の核心であるが、沖縄をシンボルに掲げて「世直し」を推し進め、原初ヤマトの成立にまでこぎ着けた人たちがヤマトには存在した。
 しかし、その「シャーマニズム的民主政権」は、4世紀半ば頃に軍事独裁的政権にとって代わられ、それに抵抗した人と服従した人たちに分裂した。最後まで抵抗した地域が沖縄と東北地方の北部以北であった。
 では、本州の大部分ではどうなったか。あくまでも原初政権の思想を守り通し、その結果厳しい差別の下におかれ、それに耐え続けた人々の集団が、いわゆる「部落」の起源であろうと思っている。疎外された沖縄と、差別された「部落」の歴史的起源は、同義的であったに違いない。
 高知の言い伝えでは、「部落」の人たちは "南から来た人" であったという。その真の意味は、およそ2000年前に沖縄と深い交流をもって「世直し」をした人たちという意味であったと思われる。沖縄の神歌には「アワノコ・トサノコ」があるが、「阿波の子・土佐の子」のことであろう。
 日本本土の原初政権の確立には、沖縄が深く関与していたが、それは空想ではなく、奈良の大地から発掘される遺物が証拠立てている。部落の起源を証明することは証拠が少なく困難であるが、沖縄差別の起源と合わせると、意外にも証拠が多い。***
 

隼人と穢多

 投稿者:田中  投稿日:2014年 8月19日(火)00時43分34秒 softbank221055049197.bbtec.net
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  放送禁止用語で申しわけないですが、沖縄には穢多に相当する言葉はありませんか?
隼人と穢多はその由来や職業に、重複する部分が多く見られます。
 

隼人の耳

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 8月15日(金)11時19分14秒 ai126241004170.tik.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
   『魏志』に登場する倭人と、海南島の「リー族」とは耳などで関係があるとされていますが、金関丈夫さんは「隼人」と地名の「アタ」の語源は「海南(ハイナン)・海膽(ハイタン)」ではないかと推測されています。
 また、フィリピンタガログ語の「イタ」とも関係あるかもしれません。
 耳輪は貝輪が原型かもしれませんが、残念なのは両者をつなぐ言葉が琉球語に見当たらないことですね「ユタ(霊媒者)」はちょっと気になりますが。。。

『発掘から推理する/金関丈夫(岩波現代文庫)2006 』より
*** フィリピンのルソン島の所々に、身長が小さく、頭髪が縮れて、円ら眼の、唇の厚い人間が住んでいる。すなわち人も知るネグリト族で、周辺のマレー系の種族からは、アエタ、アイタ、アジエタ、アグタ、アギタ、アイグタ、アタ、アツタ、エタ、イタ、イナグタ等、種々さまざまな音で表らわされる名で呼ばれている。タガロク語のイタ、あるいはイテイムやビコル語のイトム、マレー語のイタムからきているといい、これらはいずれも黒いという形容詞だという。
 ところが、宋の趙汝适の『諸蕃志』には、この地方を含む三嶼という国名の部に「海膽(胆)人」の種族名が見え、形小さく、眼は円く髪が縮れていると、彼らを形容している。(略)
 すると、アエタ、アイタ、アタの音は、ハイタンのごとくにも伝えられた、という一証がでてきたわけである。このハイタンの音は、隼人のハイトにはなはだ似ている。***

画像は、耳輪した海南島黎族の女性・中国CCTVHPより
 

ガマク・饕餮文

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 8月10日(日)11時33分55秒 ai126215138088.1.access-internet.ne.jp
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   沖縄語にも、まったく語源が知れない語はけっこうあります。

 例えば、腰のくびれあたりを表す「ガマク」。。。これは言語学者もお手上げのようで倭語はもちろん、アイヌ語や朝鮮語でも解けないようです。
 あとはオーストロネシア語族や古代中国語?を頼りにするしかないのでしょう。

 「ガマク」とは直接関係ないのですが、饕餮文と沖縄奄美~種子島の関係性を人類学者が書いています。
以下『発掘から推理する/金関丈夫(岩波書店)2006 』より
*** 饕餮文などの文様を生んだ中国北部の殷・周の文化は、数世紀を要して中国南部に波及し、相当遅く戦国時代まではのこっていた。(略)
 杭州出土の戦国時代と思われる白陶の断片に、広田遺跡の貝輪の帯文そっくりの浮彫文が写されています。また長沙にも同時代の石刻の、うろこのある竜佩があり、ことにおもしろいのは、これを二つ合わせると、その形が広田遺跡の饕餮文貝札にそっくりになることです。したがって、広田遺跡の下層の文化は、同時代の戦国時代末か、あるいはそれに近い時代に、殷・周の古代中国文化の文様の伝統を受けついだ揚子江以南の文化、すなわち楚の文化とつながるのではないかと推定されます。その意味では、この広田遺跡の文化は南中国系といってもさしつかえありません。
 ついでですが、広田遺跡の饕餮類似文貝札に似たものは、沖縄の各地の貝塚からでています。カーボン・テストでは紀元前1500年とでる先樋川貝塚からでた骨器は、広田遺跡の貝札と外形がよく似ています。また、やはり同じ時代の金城貝塚からも、中国風の竜形の変化と思われる貝器がでています。このように、カーボン・テストを信用すれば、時代は広田遺跡より非常に古いのですが、種子島以南の沖縄にも、中国の古代文化の文様の影響とみられるものがある。***

画像は、広田遺跡出土品 ・南種子島町HPより
 

なるほど(@o@;)

 投稿者:田中  投稿日:2014年 8月 3日(日)13時54分7秒 softbank221055049197.bbtec.net
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  wikiから引用です。

> 日本語の方言区分の一例。大きな方言境界ほど太い線で示している。
> 本土方言と琉球方言の違いは非常に大きく、また琉球方言の内部の
> 違いもかなり大きい。本土方言は東西に分けられるが、八丈方言は独
> 自の位置を占める。

なるほど、こりゃ難しいはずです。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0a/Japanese_dialects-ja.png

 

奄美語

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 8月 2日(土)09時20分54秒 ai126241002165.tik.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
  田中さん、オボレダレン(ありがとうございます・徳之島北部?方言)

 ワン(私)は沖縄島中部で育ちましたから、いわゆる国頭語(沖縄島北部~沖永良部)もなんとかわかりますし、徳之島以北の奄美語も、丁寧に発音してくれると60%くらいは理解できます。

 また、親戚や同僚に宮古人が多いですから。。。まあ勉強中ですけど宮古語はとにかく面白いです。
 しかしー、与那国語はお手上げです(泣)、ほんとにさっぱり意味不明で、単語を覚えるのに精一杯ですね。

 で、琉球語の基本を温存しているのは奄美語ではないかと。。。
 例えば、美しいを表す沖縄語の「チュラ」は、奄美語では相変わらず「キョラ(清ら)」で、九州語?の「気張れ」は「キバリヨ」。。。これが沖縄語では「チバリヨ」に転じています。
 ただ、奄美語圏の喜界島では沖縄と同じ「チバリヨ」で、その他多くの単語が沖縄語に近いにが不思議です。
 逆の事が沖縄にもあって、沖縄語圏の久高島は奄美的な発音ですし、「アマミキヨ(奄美人?)」の信仰が比較的濃厚なのが気になるところですね。

写真は、国頭小学校のガジュマルとバス停・沖永良部島。。。「国頭/島尻」の関係も面白いですよ。
 

Re: 沖縄のアンパンマン

 投稿者:田中  投稿日:2014年 8月 1日(金)09時25分37秒 softbank221055049197.bbtec.net
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  > No.2359[元記事へ]

琉球松さん

知り合いの徳之島出身の人が、ウチナーグチとシマグチ(徳之島)は全然違うと言ってましたが、与那国となるともっと違うのでしょうね?

いずれも私らには未知の外国語なのですが、字幕があれば、日本語のバージョンのひとつなんだということがわかります。韓国語よりもずっと取っ付きやすいです(^_^;)

「アナ雪」の次バージョン、どんどん流行ってほしいですね。
 

沖縄のアンパンマン

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 8月 1日(金)09時01分47秒 ai126215012004.1.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
  田中さん、フガラッサー(ありがとうございます・与那国方言)

 そう言えば字幕なしですね。若い島人のためにも必要でしょう。

 沖縄県や奄美群島では島口を大事にって事で、議会壇上でも披露するわけですが、問題はついつい那覇や名瀬が中心になってしまうことなんでしょう。
 いわゆる「ウチナーグチ」は沖縄島中南部のものですから、北部や宮古&八重山が後回しにされる傾向がありますね。

 『沖縄のアンパンマン』も宮古バージョン登場を期待したいところですが、『♪ ラジオ体操』は多くのバージョンがありますから参考になりそうですよ。奄美群島版『https://www.youtube.com/watch?v=RihKsqOqWZg
 

Re: 方言の勉強

 投稿者:田中  投稿日:2014年 7月31日(木)13時21分54秒 softbank221055049197.bbtec.net
返信・引用
  > No.2357[元記事へ]

琉球松さん。このアンパンマンは字幕がないと理解不能です/(^O^;)

鹿児島以南の方言は朝鮮語か広東語、秋田以北の方言はロシア語に聞こえます。日本は細長いですねぇ。
 

Re: 方言の勉強

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 7月31日(木)10時54分20秒 ai126241007193.tik.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
   田中さん、ウフクンデール(ありがとうございます・喜界島方言)
 腹かかえて笑ってます。そのうちに宮古島バージョンも出てきそう(笑)。

 そう言えば、このアニメのキャラクター&背景などの3D化担当は久米島出身の方ですね。

 田中さん、こんなのもありますよ→『https://www.youtube.com/watch?v=slEsvi_UMns
 

方言の勉強

 投稿者:田中  投稿日:2014年 7月30日(水)16時41分16秒 softbank221055049197.bbtec.net
返信・引用
  アナと雪の女王の歌を、いろんな方言で歌ってYoutubeに投稿するのが流行ってます。これは楽しみながら方言の勉強になる(*^o^*)
https://www.youtube.com/watch?v=lWyED8-c6f0

https://www.youtube.com/watch?v=lWyED8-c6f0

 

(無題)

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 7月28日(月)14時51分16秒 ai126215136050.1.access-internet.ne.jp
返信・引用
   「巨大生物の世界」と「巻貝」ですか。。。一見、無関係のようにも思えますね(笑)
 まあしかし、ミステリーな感じはありますからいいんじゃないでしょうか。

 それと、名護先生は声のトーンがソフトですから、遠慮なさらずに腹から声を出して下さいね。
 腹筋運動は効果的ですけど、無理は禁物です(笑)。
 

1

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月27日(日)09時47分51秒 softbank221096125147.bbtec.net
返信・引用 編集済
  ポスター分割投稿
番号順になっていません。コピペでワードか何かに移して、
○付き番号(画像)の順にご覧になるとよいかと。
サーバーとのやり取りで、混乱し、意外と番号合わせる
のが困難です。すみません・・・。
 

4

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月27日(日)09時40分1秒 softbank221096125147.bbtec.net
返信・引用
  4  

7

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月27日(日)09時38分45秒 softbank221096125147.bbtec.net
返信・引用
  7  

10

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月27日(日)09時37分9秒 softbank221096125147.bbtec.net
返信・引用
  10  

13

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月27日(日)09時35分42秒 softbank221096125147.bbtec.net
返信・引用
  13  

16

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月27日(日)09時32分38秒 softbank221096125147.bbtec.net
返信・引用
  16  

19

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月27日(日)09時30分19秒 softbank221096125147.bbtec.net
返信・引用
  19  

転載、了解です。

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月23日(水)18時15分12秒 pw126254008017.8.panda-world.ne.jp
返信・引用
   前に本欄に書きましたが、来月始め(8月2、3日)に東大農学部(文京区弥生)で「生き物文化誌学会」があり、ポスター発表の予定です。そのポスター原稿がほぼ出来上がり、最終点検中です。印刷は東京の学会ポスター専門の会社に依頼し、受け取りが学会前日までに東京で受け取る予定。
 学会のテーマは、「巨大生物の世界」。私のポスター表題は
「前方後円墳に化した沖縄産巻き貝ゴホウラ」にしました。かなりこじつけた表題でしょうかね。まあ、この学会はかなり包容力のある人士の集まりのようなので、聞いていただけるかと・・笑


 

記事の転載について

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 7月21日(月)10時52分22秒 ai126215131151.1.access-internet.ne.jp
返信・引用
  名護先生へ

 宮古のおける「白血病のキャリア」の記事を転載したことご了承下さい。
 転載先は「くまから・かまから 掲示版(http://6005.teacup.com/kumakama/bbs/?)』です。
 

仏教での輪廻転生

 投稿者:田中  投稿日:2014年 7月14日(月)12時55分29秒 softbank221055049197.bbtec.net
返信・引用
  仏教でもお経によって輪廻転生観が違い、阿弥陀経では輪廻転生ナシ。法華経では輪廻転生アリ。宗派によってどっちを取るか、宗祖がどっち系の出身であるかで教義が変わってきます。空海は前者、最澄は後者。すでに8~9世紀の中国仏教でも輪廻転生については諸説有りでした。

その後に、個人の都合で「憲法の真逆解釈」をする坊さんがたくさん居たので、ナシだけれどアリ、アリだけれどナシ、と現在では般若心経なみの遊び心満載。

しかし最近の説では、「お釈迦さんは輪廻転生については、実は一言も言ってない。見えもしない死後のことを論じるのは、それはバラモン教であって、そんなことにいくら時間や労力を費やしても、何の利もない。」と、これがいちばんマトモそうでな説ではあります(^_^;)
 

ヒミコさんは輪廻転生を説いていたであろうか?

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月13日(日)17時04分29秒 pw126254008017.8.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
   ワイス本に関心を持つ大きな理由の一つは、太古の人類が持っていた宗教的思想がどのようなものであったか、という関心に由来します。さらにそれ(等)がどのように変遷して現代にまで伝わる既成宗教・宗派の教義になったか、ということなどです。およそ1万年前に始まる新石器時代から、日本列島でいうとヒミコの時代あたりまで・・。
 ヒミコに近い時代の西洋の一例を挙げると、キリスト教における輪廻転生の否定。『Many Lives, Many Masters』では次のように書いてあります。生まれ変わりの考えは、4~5世紀の宗教会議において異端と断罪された、という。大学の医学系コースの専門教科書に書いてあると読めますので信頼できると思います・・。全ての宗教の教義のかなりの(殆どの?)部分が教会組織などの団体の利益を守る目的で歪められ歴史を持っているのではないか。

 During the week I had reviewed my textbook from a comparative religions course taken during my freshman year at Columbia. There were indeed references to reincarnation in the Old and the New Testaments. In A.D. 325 the Roman emperor Constantine the Great, along with his mother, Helena, had deleted references to reincarnation contained in the New Testament. The Second Council of Constantinople, meeting in A.D. 553, confirmed this action and declared the concept of reincarnation a heresy.

 (ヤフー翻訳);その週の間に、私は、コロンビア大学で1年生の間にとられる比較宗教学コースの教科書を調べました。 輪廻転生への言及が、本当に新約聖書、旧約聖書ともにありました。 A.D. 325年、ローマの皇帝コンスタンティン大王は、彼の母ヘレナと一緒に、新約聖書に含まれる輪廻転生への言及を削除しました。 コンスタンチノープルの2回目の会議(The Second Council of Constantinople, meeting in A.D. 553)はこの行動を確認し、輪廻転生の概念を異端と宣言しました。


    Apparently, they thought this concept would weaken the growing power of the Church by giving humans too much time to seek their salvation. Yet the original references had been there; the early Church fathers had accepted the concept of reincarnation. The early Gnostics?Clement of Alexandria, Origen, Saint Jerome, and many others?believed that they had lived before and would again.

(ヤフー翻訳);明らかに彼らは、この概念が人間に救済まで間にあまりにたくさんの時間を与えることによって教会の発達する力を弱めると思いました。 それでも、最初の文献は、そこに存在したのです。初期の教会父は、輪廻の概念を受け入れていました。 アレキサンドリア、オリゲネス、セイント・ジェロームなど、多くの初期のGnostics―Clementは、彼らが前世にも生きそして、再び生まれることを信じていました。
 

拝火教

 投稿者:琉球松  投稿日:2014年 7月10日(木)13時46分14秒 ai126215147114.1.access-internet.ne.jp
返信・引用
   『旧約聖書』は、拝火教とも呼ばれる「ゾロアスター教」の影響が強いとされていますね。

 善悪の二元論を特徴としているっていうのは、沖縄人にとっては身近な感じがします。
 ユタが発する言葉は単純で、ほとんど情け教と呼んでいいくらいで、我が門中の専属ユタさんは「世界中の台所(女性?)と繋ぐのが火の神」って言ってます。
 キリストが三日後に復活するのも、生まれ変わりと言えなくもないですね。殻を脱ぐと言うか脱皮すると言うか。。。
 マリアの処女受胎も、朝鮮神話や「加賀のクケ戸」神話とも共通するんでしょうか。
 

ユダヤ人Jacob の near-death experiences から(1

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月 9日(水)09時23分31秒 pw126254008017.8.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  ワイス本の中にある臨死体験についての話、まあこれは患者から聞いた話なので・・参考程度に。(1から(2 へ続きます。日本語はヤフー翻訳によります。

 I have had several patients with near-death experiences. The most interesting account was that of a successful South American businessman who was seen by me for several sessions of conventional psychotherapy about two years after Catherine’s treatment ended. Jacob had been run over and knocked unconscious by a motorcycle in Holland in 1975, when he was in his early thirties.

 私には、臨死体験で数人の患者がいました。 最も面白い話は、キャサリンの処置が終わったおよそ2年後に私によって従来の精神療法のいくつかのセッションについて参照された成功した南米のビジネスマン、ジェイコブのそれでした。 彼が30代前半であったとき、ジェイコブは1975年にオランダでオートバイにひかれて、気絶しました。

 He remembers floating above his body and looking down at the scene of the accident, taking note of the ambulance, the doctor attending his injuries, and the growing crowd of onlookers. He became aware of a golden light in the distance, and as he approached it, he saw a monk wearing a brown robe. The monk told Jacob that this was not his time to pass over, that he had to return to his body. Jacob felt the wisdom and power of the monk, who also related several future events in Jacob’s life, all of which later occurred. Jacob was whooshed back into his body, now in a hospital bed, regained consciousness, and, for the first time, became aware of excruciating pain.

彼は体より上に浮いて、事故の現場を見下ろしたのを憶えています。そして、救急車、彼の怪我に立ち会っている医者と集まってきた見物人群衆に注意します。 彼は遠くで金色の光に気づきました、そして、彼はそれに接近してきたとき、修道士が茶色のローブを着ているのを見ました。 修道士は、今は越えるべき彼の時でなく、彼が体に戻らなければならないとジェイコブに話しました。 ジェイコブは修道士の知恵と力を感じました。そして、また、その人はジェイコブの人生でいくつかの将来のイベントに関係していました。そして、その全てが後で起こりました。 ジェイコブは今や病院ベッドで彼の体へスーと帰り、意識を回復して、初めて耐えがたい痛みに気づきました。
・・・下の(2へ続く
 

ユダヤ人Jacob の near-death experiences から(2

 投稿者:名護  投稿日:2014年 7月 9日(水)09時17分14秒 softbank221096125152.bbtec.net
返信・引用 編集済
   In 1980, while traveling in Israel, Jacob, who is Jewish, visited the Cave of the Patriarchs in Hebron, which is a holy site to both Jews and Muslims. After his experience in Holland, he had become more religious and had begun to pray more often. He saw the nearby mosque and sat down to pray with the Muslims there. After a while, he rose to leave. An old Muslim man came up to him and said, “You are different from the others. They very rarely sit down to pray with us.” The old man paused for a moment, looking closely at Jacob before continuing. “You have met the monk. Do not forget what he has told you.” Five years after the accident and thousands of miles distant, an old man knew about Jacob’s encounter with the monk, an encounter that happened while Jacob had been unconscious.

 1980年に、イスラエルを旅行している間、ジェイコブはヘブロンでPatriarchsのケーブを訪ねました。そして、それはユダヤ人とイスラム教徒への神聖なサイトです。 オランダの彼の経験の後、彼はより信心深くなって、よりしばしば祈り始めました。 彼は近くのモスクを見て、そこのイスラム教徒と祈るために座りました。 しばらくして、彼は、去るために起きました。 年をとったイスラム男性は彼に近づいて、言いました。「あなたは、他と異なります。 彼らは、我々と祈ることはほとんどありません。」、老人はしばらく休止しました。そして、続ける前に細かくジェイコブを見ました。 「あなたは、修道士に会いました。 彼があなたに何を話したかについて、忘れないでください。」と。事故の5年後、数千マイルの離れたところで、修道士(ジェイコブが意識不明の間、起こった遭遇)とのジェイコブの出会いについて、(年とったイスラム男性は)知っていました。
 

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