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全337件の内、新着の記事から100件ずつ表示します。 1  2  3  4  |  《前のページ |  次のページ》 

誤記訂正します。

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 8月15日(金)21時10分54秒 p5123-ipbfp05kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  御免なさい、朴提上さんは、ハングル読みで「パクチェサン」さんですね、お詫びして訂正します。
ついでに、ハングル文字そのものを入れようとしたら、直ぐ前の投稿なんですが、文字化けしてしまいました。
コレもお詫びします。
だから、ついでに琉球松さんとか、文字化けの分を消しといて頂けませんでしょうか?是非お願いいたします。
 

陰陽道とか、仕方ないから、陰惨な話も含めちゃいーの、行きますか?ぶっちゃけ。

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 8月14日(木)16時18分18秒 p5123-ipbfp05kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  だからね、要するにね、陰陽道って矢ッ張り大陸とか半島との関係を故意に無視すると、「出雲が何で日本一之宮か?」「銅鐸って何?」etc.と同様、一見、超「謎」の呪術になっちゃう訳ですよ。
明治に至るも「オンミヨさん」とかって、朝廷では浮き沈んじゃっても市井で半ば(因習だ何だと)馬鹿にされつつ細々と息長く、特に四国とか結構集団で生き残ってたんですけどねぇ。
因みに、陰陽道のベースになった道教には、鬼門も裏鬼門も、別段無いです!諸共に。
しかも、陰が極まって陽に転ずる鬼門も、陽が極まって陰に転ずる裏鬼門も、不吉じゃないですし。
只単に、方位と日時計とか、時間と空間を組み合わせた羅盤上の話で、寧ろ大陸的感性からは、裏鬼門の方がドッチかってば不吉と言えなくも無いかなあ?程度ですか。
一々島国の無教養なカルトみたいに辛気臭い事言ってらんないでしょ!生き馬の目を抜く世界じゃあ。
ンで!ザックリきっぱりスッパリ!陰陽道の最大級有名人、安倍晴明公が最高神と仰ぐ『赤山明神』は、韓国KBSドラマ「海神(ヘシン)」の主人公でもある張保皐(チャンボゴ/ちょうほこう)が正体ですねぇ!
(ついでに、張さんご自身は商売人さんです。商売上已む無く、海賊退治もしました。)
でもソレを認めたくないんで、日本では矢張り『赤山明神』は「謎」の神ですけどね。
まあ、神格は「泰山府君」辺りと一緒で、冥界と人間界を繋ぐ、閻魔さんのもう一寸だけ前段階?!みたいな。
で、歴史的に国家神道カルトへジワジワ取り込まれていく日本人が如何思っていようと、事実は事実って言う事で!昔も今も、ってか昔こそ滅茶苦茶「鎖国」とは真逆な状態だったんで、大陸の遼東半島から結構直通で余りタイムラグを置かずに『赤山明神』も直輸入されてますね。
輸入したのは晴明公のお師匠さん、陰陽寮の賀茂氏です。
兵庫県の室の津(現室津)に賀茂の一大本拠地があって、瀬戸内まで海路で、後、京都へは古い陸路で旧秦之荘を突っ切ってソレナリなだらかな道が今も昔もありましてねぇ、其処を運べば早いの!でした、書物でも何でも。
途中に、峰相山も在るっちゃあ在るし。
でさ、古田史学の古田武彦氏が、どんなに「距離」感だけを理由に対馬で(韓国では忠臣として有名で、慶州には真新しい「像」迄ある)朴提上が対馬で死んだとか頑張ろうとも!ソノ当時日本という政治体制が未だに未成立で、九州王朝自体一枚岩でなく、畿内も群雄割拠が実質だった理由から、新羅の未斯欣王子が滞在したのは秦王朝の姫路は打越の峰相山鶏足寺で、滞在年は402〜418年なの!!!です。
そんな、天皇制中心の政治形態がアノ当時、ある訳無いでしょーが!!!
何都合よく、そんな時だけ仲哀天皇とか、超シッカリした天皇としての実在みたいに、言っちゃってんだか。
スチャラカに適当にボーッと倭寇風で寄集めの勢力が百済の要請で侵攻しに行って、あんま勝ったとか言うよりドッチも痛み分け位に思ってたのに、先方の王位継承直後のゴタゴタを避ける政治事情から何故だか人質が来るってイキナリ言われて、後で後ろ手に、まあまだ一番先進国っぽい気風から島国連合の見栄が晴れるってだけの意図で、ソレよりか前に九州から兵庫へ引っ越して来てた秦王朝に押し付けたんじゃんか!
秦は秦で、十何年間の内に、色々王子に投資したんだってば!有形無形で。
教養ってモンが、一番金掛かりますよね!今も昔も。
そういう島国連合の内輪の事情があって、一本化した命令系統とかそもそもがあり得なくて、何処にもイイ顔をしたいって無責任体制の萌芽は既に存在して、だから朴さんは半島の隣国にしたみたいな質子王子召還の話合いが出来ないワ、しかも半島から押し出された事情の人間が島国に多いんで潜在的に対立の構図は常に準備されてるワ、ってな政治上や感情的な行き違いから、王子を抜打ちで逃がした朴さんが生きたまま焼かれちゃったのも、実は姫路の家島でした〜!
勝手に〜!地元の伝承とかを徒や疎かにして、距離感だけで適当に動かしたりするから、邪馬台国だって…。
とかはさて置き、朴さんの尊称が「ナマ」さんですね。
「奈麻戸奴加奈之(なまんとかなし)」って、聞いた時最初に思い浮かべたのが朴さんの尊称で、「パクテソンナマ」って続けて読むんですよ。
沖縄も、半島の影響はもっと、掘り下げた方が良いですよ?思わぬ事情が判りますYO?
 

(無題)

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 8月12日(火)20時05分48秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
編集済
   公明党が存在するかぎりは、創価学会を信用することはできないですよ。

 この掲示板への投稿さえ "総体革命" のついでなんでしょうね。


画像は、宮古多良間島。
 

(38)集団自決 強制したモノ

 投稿者:創価学会員  投稿日:2008年 8月10日(日)23時38分38秒 EAOcf-98p239.ppp15.odn.ne.jp
   陰陽道に鬼門と裏鬼門があるが、元々中国では鬼門だけで裏鬼門は無かったそうで
ある。
裏鬼門は南西の方角で、何故南西の方角を朝廷が鬼門としたのか謎だそうである。
「赤椀の世直し」をよんで、それが沖縄だと思っているのだが。

平安京の南西に、裏鬼門を守る石清水八幡宮が860年に創建された。
空海の弟子の行教の神託により造られたとのこと、東北の鬼門の守護は仏教(天台宗
比叡山)でもよいが、裏鬼門の守護は神道で無ければ駄目との事で宮となったらしい。
853年8月に沖縄来た円珍は天台宗とあるが、正確には空海の姪の子で、台密と言
われる天台宗に真言密教の邪義を混入した僧の一人である。
この円珍が「弁ガ岳」の碑を刻んだと私は推測している。

伊勢神宮の東北には金剛證寺(真言宗)があり。ネットで探せなかったのだが、南西
に真言宗の寺があり、鬼子母神か十羅刹女を祀っていたと記憶しているのだが?
伊勢神宮の南西で法華経の鬼子母神や十羅刹女を真言宗が祀っているので胡散臭かっ
た記憶がある、寺の名前は覚えていないが。

真言宗は天皇の敵を加持祈祷により調伏してきたと想像することができる。
うがった見方をすれば、名門天台宗を乗っ取ることができたのは、その所為ではない
かと思う。
四国の八十八箇寺を廻る遍路も剣山を中心に廻っているとの説がある。
もしそうなら、御所の南西に位置する剣山そして旧名が鶴亀山(以前述べたが君が代
と神が代)から、その山に何らかの「赤椀の世直し」に関係する物が埋蔵されている
可能性があると思うのだが?

この鬼門や裏鬼門を現代の感覚で考えてはいけないと思う、古代から江戸時代まで都
市計画の重要な柱であり、政治的にも古代ほどではないが江戸時代まで重要な思想で
あった。
 

ええとねぇ、牛はねぇ。

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 8月10日(日)17時03分55秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  平安時代の陰陽師による宮廷祭祀で「鬼遣らい」の方相氏が宮中から穢れを払った後、最後に作り物の「土牛」の額を割って、神宮大麻の実の方を前以て仕込んでたのを取り出し、火にくべて一寸ラリって終わりだったと。
まあ、その時の祭文が決まって四方四界の領土の範囲を口にするんですけど、琉球は入ってないばかりか、陸奥の方も結構狭い範囲だったんですよね?割とドッキリ。
と、ソレはさて置き、牛は道教から、奉げ物の役目とか、天上老君(老子)の乗り物って事はあるんですけど、スサノオはドッチかって言うとインド系でソレよりかは古いですね。
スサノオを神格で言うと暴風雨ってマハールドラとか、大国主ってマハーカーラとか、シヴァ神の分神系列に当て嵌められるんで、ナンディン牝牛とかソレはソレは付き物ですが?
マハーカーラの乗り物がナンディン牝牛で、だからインドじゃ牛がウヨウヨそこらを歩いていても、捕まえて食ったりしちゃ駄目なんですよ。
まあ、インド人は牛を食うなんて野蛮!とか口走って、反捕鯨みたいな運動はしない人達ですけど。
「スサノオ=牛」って訳じゃないです、あくまで乗り物です。
 

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 8月 9日(土)21時54分34秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
   先日のテレビ番組で、出雲大社内部の映像が出てましたね。

 その中の牛の話題なんですが、それって「スサノオ」の事なんでしょうかね?
 

八足とは。

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 8月 7日(木)00時36分50秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  八つ叉とか八ち叉とかヤワタとか、沖縄の高床式倉庫だか、神話世界の「天と海の辻」だか、出雲の伝説のオロチだか、思い出しちゃうじゃないですか?
「奈麻戸奴加奈之」って、万葉仮名っぽいけど、どちらかと言えば半島系の「都怒我阿羅斯等」を思い出してしまいます。
『耕作の神八角八足腹とモモとに白き星あり是を島人生神と言
声子ようたらの如したりに大和人を近づくれば大にきらわると言
常の牛より大なり庭火つけき其光に背面す
西間切東間切にかきるなまんとかなしは真須知の一弧に限る
島人は此神出れば頭を地につける故にまさしく見るをあたわず
是を宥に全く造りものなり
是をつくりものなりと言は大に島人きろふなり
故に大和人を近つくるなを忌か』
昔は、牛は耕作の神以外に、日照りの時に水神に奉げる聖なる獣でしたね…。
平安期にも陰陽師がよく、大麻と作り物の牛を使ってましたよ…?陰が極まって陽に転ずる、節分の折などに、聖別の意味で。
 

(無題)

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 8月 5日(火)22時49分5秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
編集済
   田中さん、田仁さん、いろいろとありがとうございます。

 どうやら、雁屋遺跡の「四脚木器」と宮古八重山の「角皿」は別物かもしれません。

画像は、角8つ足16本の奄美の怪牛「ナマトノガナシ」『南島雑話2/名越左源太(平凡社)1984』より
 

銅鐸は聞かないですが、編鐘なら。

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 8月 5日(火)15時59分8秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  孔子の一生を描いた、中国モノのVCDとかDVDとか、地道に見てれば割と時代考証に神経質で正しいので、超物悲しい短調の、編鐘の音色ならよく登場しますよ?後、春秋戦国モノとか。
最近は、朝鮮王朝の王家=李氏の宗廟で祭礼をされた時とか、九揖の舞はされてたようだったし、中国じゃ炎帝神農の廟を復活された時も、もしかしたら、ってか多分演奏されてたろうし、日本じゃ筑波の何かイベントがあった時でした?皇太子の面前で編鐘が演奏されたと思うんですけど。
所で、古代中国の杯の形状は見た事がおありで?
饕餮に関するウィキペディアはコチラ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A5%95%E9%A4%AE
 

4つ足

 投稿者:田中  投稿日:2008年 8月 5日(火)08時50分19秒 pl251.nas922.p-kyoto.nttpc.ne.jp
  角皿も、大阪の四脚木器も、動物信仰の形でしょうね。動物信仰は世界中に太古からあるものなので、べつに不思議では無いです。

多くの動物は、人間はとうてい追い付くことのできないスピード、力を持っていますから、それにあやかりたいとの願いが4つ足の形になったものでしょう。この形の器に入れたもの(酒?)には神力が宿るとか考えたのでしょう。伝統工芸のデザインには8つ足というのもあり、これは動物2頭のことです。

ついでに鳥の翼も付けて、大空を飛び回りたいと考えたのが、角皿だと思います。取っ手の部分は私には鳥の翼に見えます。

スイジガイは、その動物信仰用品に「形が似ている」という理由で採用されたものと察します。

4つ巻は、また別の宗教でしょうかね?
 

4つ足・4つ巻

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 8月 4日(月)23時20分53秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
編集済
   田仁さんへ

 宮古八重山の「角皿」は、その2本の取っ手を「角」、他を「4つ足」。。。これは魔除けのスイジ貝が原型とされています(中国の銅器にも似ていますが)。

 しかし、すでに弥生時代中期に「4つ足」が出現していたとすれば、大きな謎ですね。
 大阪府雁屋遺跡出土の木器の蓋の渦巻きは、やはり銅鐸の影響でしょうか?
 あるいは隼人?物部?

 田仁さんは、銅鐸の音って聞いたことあるでしょうか?どんな音がするのか興味あります!

画像は、八重山の角皿(レプリカ)・沖縄県立博物館所蔵
 

「>蓋の4つの渦巻き」

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 8月 4日(月)00時43分26秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  恐らくは、中国の一種魔除けであった「饕餮文(とうてつもん)」に近しかろうと。
当時の超大国の影響を無視するのは、無意味な国粋主義でしかないです。
最近やっと四神の玄武が中国の民俗的な神話感では「亀と蛇に区別が無く、雄が蛇で雌が亀って考え方があったから」とか日本の学会も白状しましたが。
しかしまだ、銅鐸が編鐘の一寸貧乏臭い音階がチャンと揃ってないヤツって事は認めてませんねぇ。
小さい島国的プライドの、狒々爺にありがちな頑迷固陋もイイ加減にして欲しいですが。
んで、琉球は、長らく超大国に近く位置した先進国であった筈。
「ツノザラ」自体は平安期の(洗髪等に貴族が用いた)角盥と近しく、アイヌにも類型が伝わってますが、しかし原型と言うか大元は、恐らく国風文化の直前まで「崇拝」にも似た感情を大和の貴族社会が抱き続けた中国を探した方が、手っ取り早かろうと存じます…。
 

(37)集団自決 強制したモノ

 投稿者:創価学会員  投稿日:2008年 8月 3日(日)23時54分42秒 EAOcf-05p88.ppp15.odn.ne.jp
  田中 様

>鑑真も、たしか不可抗力で沖縄に流れ着いたんではなかったかしら?
鑑真の一行の4隻の船は、途中暴風雨に合い3隻が沖縄に到着しています。
黒潮を横断して3隻とも沖縄に到着しているので沖縄が目的地でしょう。
853年8月に円珍(智証大師)が琉球に漂到とあるが私個人は目指して来たと想像
しています。

空海の言葉に表現される琉球に対する敵意はどうしてか?
下の画像にそのヒントが隠されていると思うのですが、京都府の浦嶋神社(宇良神社)
です、あの浦島太郎を祀っている神社です。
創祀825年7月22日、仮に浦島太郎が実在したとしても、何故300年前に死んだ
人間を今更神とする必要があるのか?普通ではない。
官社でなければキチガイの所為と見られるだろう。

私はその当時の敵(鬼)が再度出現したためと考えています。

沖縄に憲法を創るとの具体例を指し示したい。
下の画像は歴史の状況証拠と見ることもできますが、私がこれまで述べてきた憲法の具
体例と見ることもできます。
当時の権力者が律令制を日本国に具現化するために苦労してきた努力の一片と見ること
ができるでは!
当時の何百年に渡るこのような努力が、非白人国家で唯一の先進国を創る土台となった
と思います。
詰まり、現在から未来に渡る社会を創る方法がそこに表現されていると思うのですが?
我々ウチナーンチュは民衆の力と知恵で憲法を創るべきだと思うのです。
ただ宗教を否定するカルトや硬直した合理主義を信奉する知識人はこの様な憲法を認め
ないと思う、しかし現実に天皇家は世界一長い歴史を有し日本国は先進国として存在し
ている、私は現在の左翼や知識人の宇宙認識より古代の権力者の認識が真実に近いと思
う(善悪の問題ではなく正しい現実認識)、左翼が正しければソ連や中国や東欧の状態
を同説明するのか、知識人が正しければブラジルやアルゼンチンを同説明するのか、左
翼や知識人の認識では真にすばらしい社会は創れないと思う。

浦嶋神社の正殿が鳥居の中心から右にずれているが、首里城も確かそうだったと思うの
だが、何らかの関係があるのか?
 

中国の…。

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 8月 1日(金)20時39分38秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  青銅器とかは、酒器が多かったようですが…?  

四脚木器

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 7月31日(木)21時11分25秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
編集済
   画像の木器(大阪府雁屋遺跡出土・総高17,0cm・弥生中期)は何に使ったんでしょうか?

 蓋の4つの渦巻きも面白いですが、取っ手を付けると宮古八重山の「ツノザラ」になりますね。

画像は『古代史復元5/工楽善通(講談社)1989』より
 

真言亡国

 投稿者:田中  投稿日:2008年 7月29日(火)22時40分44秒 pl251.nas922.p-kyoto.nttpc.ne.jp
編集済
  真言亡国と批判する創価学会が、空海の話題に乗ってくるとは奇妙ではありますね(^_^;) 私も個人的には真言は仏教ではないと思っていますが。

真言宗の家庭は女が強い>男が立たない>子供が出来ない>国が亡びる。などと言って、亭主の飯も作らず布教活動に勤しむ学会婦人部の方々こそ、男が立たない=真言じゃないのかしら(^o^;)

しかし、女が強いという意味では、邪馬台国にも通じるところがありますね。空海を待たずして、沖縄にはすでにそのような土壌はあったのかもしれません。

法華経ですが、正法の法華経であればずっと過去に伝わっていた可能性はじゅうぶんあります。いま問題にしている天台法華経、時代的は像法ですが、それも中国との地理的関係ではじゅうぶん伝わっていたと思いますね。

と言うことは、ひょっとしてミルクは、末法の法華の行者との位置付けなのかもしれません。あのメタボな風体は日蓮にも似てますしね。

>田中さん、鑑真の「阿児奈波」から50年後の空海の「虎の性の留求」との
>表現の変化、そして南島路から南路への変更をどの様に解釈しますか?

鑑真も、たしか不可抗力で沖縄に流れ着いたんではなかったかしら?

中華思想では、自分達が地球の中心で、それに従わないヤツはみんな、鬼であり邪であり卑であり虎の性であったことは、鑑真前も後もずっと変わり無いことだとと思いますが。
 

(無題)

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 7月29日(火)17時00分28秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
編集済
   沖縄島では人名としての「クウカイ」はほとんど聞かないですね。
 仮に伝承などあったとしても、やはり田仁さんが言うように、後の時代に付与されたと考えたほうが妥当だと思います。

 それと「法華経」ですけど、これはとっくの昔に伝わってますね。ただ、島人がその思想やメリットを理解したかは疑問です。
 そもそも、仏教そのものの輪郭も21世紀の今日でさえボケボケですから、千数百年前となると論外だと考えるわけです。
 これは例えば、仏教国ミャンマーは軍事政権で恐ろしい国、だから仏教も恐ろしい。。。社会主義北朝鮮も一党独裁の恐ろしい国、だから社会主義は恐ろしい。。。しかし仏教や社会主義の中身は知らない。。。って感じでしょうか。

画像は、奄美大島旧名瀬市の大浜海岸
 

荒野聖と佐伯の氏

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 7月28日(月)00時03分48秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  ソレにつけましても、「オギヤカ」なんて語感は、物凄く古い日本語っぽい感じがしますねぇ!
空海が佐伯の氏って事で私が言いたいのは、空海弘法大師の伝説・伝承は非常な広域に亘ってますが、ソレは従来言われて来た、後世の荒野聖の足跡以外に、古い佐伯氏の功績までもが、ソコ出身の超有名人って意味で、弘法大師の功績に纏められちゃったかもね?!って事でした。
まあ、可能性としては。
 

(36)集団自決 強制したモノ

 投稿者:創価学会員  投稿日:2008年 7月27日(日)23時31分24秒 EAOcf-05p88.ppp15.odn.ne.jp
  田中 様
 結論を先に言うと、空海については私の早とちりのようです申し訳ない、しかし天台
法華経は当時すでに沖縄に伝わっていたので仮説は壊れません。

遣唐使の航路は北路・南路・南島路のであるが、663年白村江の戦いで敗れてから北路
は使用出来なくなり、8世紀初頭〜中頃まで南島路を使用して、それ以後は南路を使用し
たとの事です。
9世紀初めの空海は南路を使用したことになる。
753年11月に鑑真和上が遣唐使船にて「阿児奈波(沖縄)」に着く。
鑑真は天台宗の経典を日本に伝えた人だそうです、最澄も子供の頃に鑑真の伝えた天台経
典で学び天台宗を志したそうです。
空海は「留求の虎の性にキモを失う」とあるが、その上に北風とあるので沖縄の北を航海
したと考えることができる(画像参照)。

田中さんへ質問します。
私はミルクとサーガを聞いて、間違いなく天台法華経は沖縄に入ってきていると主張し
ていました。鑑真がの来沖はその証拠になると思うのですが。田中さんの判断は?

法華宗が最初で後に真言宗が入ってきたとの仮説はミルクとサーガの伝承から感じたモ
ノであるが、それに「赤椀の世直し」が加味されたのが弁ガ嶽の石碑だと思います。
何故なら、中央の乙姫王は明かに女性と推測されるが、琉球王府では女性の王は考えら
れない。
琉球松さんの言う真言宗招致時期が室町時代までなら石碑にあの様な表現をする、ぎり
ぎりで範囲内の時代だと思います。但し当時の権力者が「赤椀の世直し」の時代を記憶
しているとの前提の上ですが。

田中さん、鑑真の「阿児奈波」から50年後の空海の「虎の性の留求」との表現の変化
、そして南島路から南路への変更をどの様に解釈しますか?
 

う〜んと、そしたら、紀州の情報を開示しますね?

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 7月27日(日)15時18分58秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  紀州の「紀」も前鬼後鬼の「鬼」も、本来は「木」であって、出雲の「因幡の兎」伝説でイジメっ子役の「五十猛」が木の神として鎮まったのが紀州と言いますな?紀州とは木州であって、木の国であると。
詰る所、日本国一ノ宮である出雲の入植者が枝分かれして、少なくとも弥生時代には紀州に人が住んでたのは明らかで、でも、九州のと匹敵する位の、実は渡来文化の痕跡も色濃い墳墓とか沢山有るんですよね?古いのが。
新興宗教・天理教の近くに三輪山があって、ソノ裏辺りには長谷寺があって、ソノ更に奥には六天神降誕の地って未だに祀ってありますしね。
紀三井寺とか、三十三寺参りにも入ってる古い聖地が現存しますし、日前さんって由緒がヨク判らないなりに古い太陽を祀る宮もありますし、沖縄と関係があっても全く不思議ではないです。
多分、史上何度もあった「東遷」の中でも最も古い、海人族の大移動の時から、貝のブレスレットとか取引する根拠地になってたんじゃないんでしょうかね?
ご存知で?安珍清姫の元ネタは聖武天皇の母・宮子の出世物語なんじゃないかって説も有って。
ソレは兎も角、藤原氏の養女になった宮子が本当は海人族の出身らしい事は確からしいそうで。
空海は出身とか謎ですけど、一応「讃岐の佐伯氏」と言われてるんじゃなかったでした?
でね!佐伯と言えば、讃岐ではないですけど、「常陸国風土記」茨城郡の条に有名な話がありますよね?
「野の佐伯・山の佐伯」と言う兄弟の土蜘蛛だか山賊だかが居て、マツロわぬ者に付き物の「狼の様な性質、フクロウの様な心、ネズミの様に」相手の隙を見ては物を盗むと悪口言われてて、時の朝廷が、住まいの穴倉に茨棘(うばら)を仕掛けて「悉く突き殺しき」と。
まあ、インチキ臭いと言えばインチキ臭いんですけど。
イバラと言う「遮る木」自体が佐伯の名の起こりだったのかも知れず、とすれば主客が転倒しますし、何らかのトリックは潜んでる話でしょうね…。
と、この様に、彼が非常に古い出身氏族が背景と考えれば…?
 

尚真王

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 7月26日(土)23時00分35秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
編集済
   空海が沖縄島に上陸したとは考えにくいですから、これはたぶん、尚真王(在位1477〜1526)代の真言宗招致と関係あると思います。

 尚真王の母「オギヤカ」の神名は「月光」。。。その他にも紀州の熊野権現伝承など、この時代は "仏教の良心" を積極的に取り入れた時代でもありますね。

 記憶の薄れた遥か昔の空海は、もはや仏僧とかエリートではなく、琉球国中央政権を守護する神の一人になったのかもしれません?
 

紀州に野呂姓

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 7月26日(土)15時44分4秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  紀州に野呂(のろ)姓が現存する事は確からしい。
また、古代史における、紀伊半島と琉球の繋がりは、朧気ながら確かに存在したと思われる。
しかし、ソレは仏教の公式伝来以前の時代区分である事は勿論、私家仏教伝来と比べてさえも、古い時代の事である可能性の方が高いだろう。
紀州の山奥と言えば「役の小角」の伝承が残るばかりか、役の行者に付き従った「前鬼」「後鬼」の家柄さえも現存している。
この世が法華経を中心に回っていると信じ込むカルトも困った物だ…、と思って、コメントが遅れました。
仙人で、天竺にも中国にも飛んだとの伝説が残る、実は時代の同定さえも難しい「役の小角」と、野呂や「弁天○百津姫神 木龍宇具志久乙姫王 天軸のろ神 辰みふし」を結びつけるなら、判るんだけど…。
 

空海

 投稿者:傍観者  投稿日:2008年 7月26日(土)04時46分21秒 p1044-ipbfp501yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp
  空海が瞑想した場所は大里に伝承されています。  

(無題)

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 7月24日(木)21時38分18秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
   人喰い鬼の末裔としては(笑)、押し付けタイプの思想改造はまっぴらですね。

 空海は奄美まで来ることはできても、沖縄島への入国ビザを所得する気はなかったでしょうね。船員達も喰われたくないでしょうし(笑)。
 

空海が留求に?

 投稿者:田中  投稿日:2008年 7月24日(木)12時39分19秒 pl251.nas922.p-kyoto.nttpc.ne.jp
  >創価学会員さん

>空海の入唐が804年帰国が806年ですが遣唐使として行きと帰りの2度、
>留求に立ち寄ったはずです。

この文証をあげていただきたいです。

あなたは空海が留求に立ち寄ったという想像を前提にして、後の文章を書かれていますが、この前提が崩れれば、あなたのこの文章はまったく意味をなさなくなるわけです。

私にはむしろ、当時の本土人は、人喰い鬼の棲む島になるべく近付かないように、避けながら航海していたように思えますが。
 

(35)集団自決 強制したモノ

 投稿者:創価学会員  投稿日:2008年 7月20日(日)23時02分42秒 EAOcf-05p88.ppp15.odn.ne.jp
   「性霊集」(835年)は空海の文書を編集したものですが、その中に「留求」の
表記がある。
空海によると、留求人は狼の心を持つ虎の性とのことです、その様に記載されている。
空海の入唐が804年帰国が806年ですが遣唐使として行きと帰りの2度、留求に
立ち寄ったはずです。
最澄は同じく入唐が804年、帰国は805年です、最澄も留求に立ち寄っている。
現在の沖縄の歴史区分では9世紀は貝塚時代だそうである。
それでも、とりあえずそれを無視して常識的な判断で進めます。
遣隋使や遣唐使が留求に立ち寄り水や食料の補給を受けていたのなら、それらのネッ
トワークに留求が組み込まれていたことを意味する。
そして、空海の文書から面従腹背の留求人がいたことになり、これは何らかの権力機
構が当時の留求にあったことを想像させる。
最澄は遣唐使の中で将来を約束されたエリート僧で時の天皇にも期待されていた、片
や空海は無名のその他大勢の僧の一人であった。その意味で形式ではなく本音の部分
で留求側と接する事があったのかもしれない。

最澄は日本に天台宗(中国の天台が法華経を緻密に解釈した宗派)を伝えた。
奈良仏教の腐敗に嫌気が差していた桓武天皇に期待され、平安仏教を興隆した。
歴史本に弥勒信仰を宣揚したとある。
平安仏教の波は最初は最澄の天台宗、暫くして空海の真言宗である。その波は当然、
当時天皇の権力の及んでいた留求にも同じ順序で押し寄せたと思われる。

ミルクとサーガを仏教の教義の上から解釈してみます。
弥勒とは新しい釈迦です。インド応誕の釈迦は気の遠くなる過去より修行してインド
で弟子と共に悟りを開いた。
弥勒は新しく修行する釈迦です、気の遠くなる未来に弟子と共に悟りを開く。
だから現在、弥勒はすでに出現しているはずです。
天台宗(法華経)は女人成仏を説く、間違いなく沖縄のノロに一番受け入れられや
すい宗派です。
以前琉球松の奄美のノロの埋葬風景の図をみて私は法華経の影響と述べたことがあ
りますが、間違いなく沖縄に法華経は伝わっていたと思います。
真言宗は経典は確か?釈迦の作ではなく大日如来の作と主張していたはずで、さらに
釈迦は大日如来の草履取りにも及ばないと釈迦をバカにするところがある。
そして仏教史上有名な弘法と最澄の確執を考えると、ミルクとサーガーは真言宗の
作(サーガを天台宗又は最澄と揶揄している)と思うのですが。

下の写真は以前投稿した弁ガ嶽の碑ですが、左の「天軸のろ神 辰みふし」の天軸は
真言宗の高野三山の一つ転軸山との指摘がトンボさんよりありましたが、私も同意し
ます。
真言系のノロが存在した証拠になります。
弁ガ嶽の創建は1519年の尚真王の時代となっているが、以前述べたように弁ガ嶽
は首里王府以前の位の高い人々の墓との言い伝えがあるので、首里王府以前から弁ガ
嶽は存在していたと思われる。
個人的な推測だがこの碑は封印だと思う。
 

エエッと、七福神自体は謎と思うんですけど…。

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 7月20日(日)16時37分21秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  七福神が流行ったのは江戸期!コレは間違いなく確定です。
大概、妖怪ブームとか、お伊勢参りブームとか、怪談ブームとか、結構江戸の爛熟期は今で言うスピリチュアル・ブームしてますよね?
世知辛い事を言うようですが、七福神のセットになったお寺とか、三十三ヵ寺参りとか、八十八箇所参りとか、割とお寺さんとか噛んでてムーブメントを狙って見たり。
まあ、ソレはソレで、昔を偲ぶヨスガが復興されて、歴史好き的には必要な事なんですけども。
コノ間ね、平安中期に三十三ヵ寺を保全する事に努めた、兵庫三木市の花山法皇の墓所に参って来ましてねぇ。
未だに信徒の皆さんとか、お住持さんを守り立てて、綺麗にしたはりますワ。
藤原氏に干されたとかって、エラく可哀相な感じに言われる事が多い花山法皇ですが、結局は本人の活き方ですよね!未だに慕われる、偉い人やったんやなあ!と思いました。
結局、常に忘れ去る方の力も働きますからね、忘れない努力の方も頑張らないといけない。
上代の(山上)聖地が三十三ヵ寺に多いのも、確かにそういう経緯なら、納得ですね。
と、まあ、コレは近畿圏限定の話ですけども。
 

世直しニューウェーブ

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 7月16日(水)22時12分56秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
編集済
   "七福神は江戸期のもの"。。。これは新しいですね。

 そうすると、まあ、それぞれの時代の世直し的なニューウェーブを、遠慮なく採用し続けてきたって感じでしょうか。宮古島では「仁王仏」にも例えられていますね。

 説話「ミルクとサーカ」が底流しているとは思いますが。。。

画像は、夏の甲子園出場を決めた浦添商業高校(左)と準優勝の沖縄尚学高校
 

確かにね、担がれてる袋は大黒天と共通するんですが…。

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 7月16日(水)21時36分26秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  ソノ辺りの布袋さん成立経緯ソノモノにつきましては、未だ調べられておりません…orz.
中国の民俗学も随分と亡羊としてましてね…、何卒ご容赦を。
京都松尾寺の大黒天像が日本最古と言われ、ソレは険しい男気っぽいお顔をされてました、大元がマハーカーラの分神の一つで、墓地の神さんでしたのでね。
京都清水寺辺りになると、ソレはもうお可愛らしい、漫画風デフォルメとさえ言える3頭身に近い感じで、日本ナイズされてますねぇ。
基本的に大黒天/不動明王/マハーカーラは、寧ろナーラーヤーナ/ヴィシュヌ/太陽神と対立構造にあって、前者は時間を、後者は空間を統べる話になってますが?
大国主は未だに根の国底の国で日本に住むものの運命を統べてられて、天照は海から昇る太陽に象徴されてるんではないですか?
日本の七福神は独特で、時に仙台太郎とか入ったり、正確には何時の成立なんでしょうねぇ?
中国的感覚では、八が末広がりで良くって、八仙って超人気で、道教のお寺にもよく描かれてたりしますけど、ヤッパリ宋代以降の話かも。
大雑把に、七福神は江戸期のような気がしますが?ソレなら極々新しいですねぇ?東京に七福神巡りは多いです…。
 

大黒天

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 7月16日(水)10時02分48秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
   琉球圏では「タイコクのミルク」と歌われ、「大国」があてられてベトナムや中国だとされていますが、七福神の一人「大黒天」の可能性はないでしょうかね。

 「大国主命&天照大神」との認識がかつてはあったかもしれません?
 

米袋

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 7月14日(月)23時38分48秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
   琉球圏の「ミルク・ミリク」は、やっぱり布袋の様相としか思えないんですけど、なぜか米袋を持っていませんし、腹が膨れているのは妊娠しているとも考えられるわけです。

 鹿島の「弥勒の船」も米を満載してやって来るのに、琉球圏では直接的ではないようです。
 むしろ、袋を持っているのは「オホホ」ほうで、しかも中身はお金(欲?)なわけで、もう訳わかりませんね。
 

神仏習合

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 7月13日(日)22時30分17秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
編集済
   田仁さん、どうもどうも。
 ナイスな話、いつもありがとうございます。

 "本土では布袋=弥勒という認識は、何故か輸入されておりません"。。。これもこちらでは以外な感がありますが、たしかに布袋さんは人気者のようですね。
 琉球圏の、特に沖縄島はもういろんな事情がグジャグジャで原初を探るのにひと苦労なんです。
 本土側の「弥勒」を調べてもよくわからないし、中国のそれはますますさっぱりです。
 まあ、名護先生の発表待ちではなんか悔しい(笑)わけで、もう少し頑張ってみま〜す!

 それから聖徳太子なんですけども、仏教に帰依していると宣言するわりには「和をもって・・」が重要と言う。。。「和」は仏教とは相容れないんじゃないでしょうかね?

『飛鳥ー水の王朝/千田稔(中公新書)2001』より
*** 「カミと仏」という混在的信仰がわが国仏教のはじまりを示すという理解はまちがっていないが、しかし後にみる神仏習合という日本の特異な宗教のあり方を思うと、飛鳥仏教にすでに「カミ」信仰を脱しきれない日本的な仏教信仰の原型をみることもできよう。***

画像は、勾玉などで飾られた東大寺法華堂本尊『日本の古代6/森浩一(中央公論社)1990』より
 

(34)集団自決 強制したモノ

 投稿者:創価学会員  投稿日:2008年 7月13日(日)21時21分21秒 EAOcf-05p88.ppp15.odn.ne.jp
  ミルクとサーカの話を思考と感情がどう捉えているか、それぞれに明かにしてみ
ます。
自分の思考が間違えることがあるとのことに異論を挟む人はあまりいないと思い
ますが、感情はどうでしょうか?
自分の感じている喜怒哀楽の感情が、自分の感情では無いことがあるとの言葉が
信じられますか?
ある本によると実際には多々あるそうです。それも感情の優越している女性の方
に発生しやすいとのことです。
例えば、嫌いな人を見ると「好きな人」とカン違いして結婚までしてしまうとの
ことです。
何故この様なことが起こるのか、それは幼少の頃、父親を「嫌い」と感じたとき
、無理矢理自分に「これは好きという感情だ」と思いこませたからだそうです。
意識の表面では確かに彼に魅力を感じ、彼の事を好きだと思っているのに、実は
心の襖低では大嫌いと言う現象だそうです。
子供の頃の自己暗示に自分自身が騙される。

ミルクとサーガの話の作り手は間違いなく大乗仏教の思想を知っている人です。
その作り手がなにを伝えようとしているのかを思考で見ると、抽象的に他の宗派
に対する自宗の優越を訴えている面しか見えない。
しかし、この板での最近の投稿を読むと、感情が大きく反応しているのが読みと
れるそれでこの話は具体性を持っていたと感じました。
それは作り手がウチナーンチュに、ある特定の宗派に対する悪感情を刷り込む意
図があったのではと想像せざる得ない(感情が感情に共感?している)。

沖縄に受け入れられた大乗仏教が先ずあった、その後サーガをバカにする大乗の
宗派が、沖縄を支配していた権力と結託して話を広めた。ミルクとサーガは民衆
から発生した話ではなく、権力側が巧妙に民衆に根付かせた話しだと思う。
仏教に対する知識があれば容易にどの宗派がどれなのか想像付くと思うのですが。

誤解しないで下さい、感情を軽く見ている訳ではありません、むしろ逆です。
沖縄の真の目的は「ニライカナイの感情」を探し出す事にあるのではと思っている
のですが…‥・(言っている本人も良く分からないのですがあると信じています)。
 

ええと、中国仏教にも色々変遷があって…。

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 7月13日(日)01時05分36秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  有名な所では、密教は中国に平安中期の空海(留学)の一世代前に入ったんで、アノ頃最先端って事で、最澄も空海も行け行けドンドンで直輸入!って最先端を気取ってお得感を朝廷に売込みましたよね?
密教ってば、ブッチャケ!西蔵付近の土着の神様とインドのバラモン教の神々が習合された上に更にブッディズムの衣が掛かったのが根本だったんだろうと思われ。
時代は逆流で恐縮ですが、どうも飛鳥時代の聖徳太子が四天王寺を建てた頃の時代?
アレって当時、中国で四天王が流行してたみたいで、根本は矢張りインド起源のバラモン教由来なんだけど、特に托塔天王とか、道教の神話とも結びつくんで定着感があるんですよね。
布袋さんは禅宗の方で、御承知の通り結構真面目に日本とか大陸の流行をトレースしてましたから、鎌倉時代にはそりゃもう熱心に直輸入目指してましたよね?
実質、布袋さんソノモノはインドには余り関係なくって、あんなブヨンブヨンに肥えてたら暑いインドじゃ一寸…、せめて固太りでないと…、的な意味は冗談にしましても、特に弥勒と布袋が結びつく経緯とか、中国オリジナルに近いだろうと。
56億7千年の後の降臨という未来性が、アンチ権力の市井のニコヤカさに化けたのは、恐らく東北アジアでの事じゃないでしょうか?てか恐らく十中八九中国と思われ。
どう見ても、沖縄のミルク/ミリク/弥勒は、かの法隆寺辺りの(て事はファラン/花郎の)弥勒半跏思惟像じゃなくて、布袋さんモデルにしか見えないんですけど?
だとしますと、沖縄に到るのは、かなり後という事になりませんか?
絶対、直の中国伝来でないと言い切れるんですか?
名前と姿は絶対ソレっぽいんですが?
因みに、本土では布袋=弥勒という認識は、何故か輸入されておりません…、てか、国家管理体制上望ましくないとか思ったのか?!なにかで、布袋と弥勒を結ぶ線はないが、ソレナリに布袋人気があるんですよね…。
もう少し詰めて頂きたいです。
(最後に、聖武天皇を書き間違えてまして、でも琉球松さんは話の流れ的に判って下さってた様で、どうも相済みません、有難うございます。)
 

初期仏教

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 7月12日(土)08時49分44秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
編集済
   そうなんですよ〜、琉球圏が仏教と遭遇したのがいつ頃なのかは正確にはわからないですね。

 だいたい飛鳥時代以降なんでしょうけども、たぶん奄美が大和朝廷に占領?された頃には、善も悪もくそみそにして仏教的なものを敵視したと思いますし、島人達は布袋も知らないし、そもそも「ミルク・ミリク」が "弥勒"である事も知らなかったはずです。

 ただ、本土側でも、例えば聖武天皇は大仏の完成祈願のために神社に出かけたりで、けっこう仏教の本質を軽視しているみたいですね。

画像は、竹富島のミルク『沖縄大百科事典(沖縄タイムス)1983』より
 

いや〜、直感て…、コレでも事実を踏まえてる心算なんですけど。

 投稿者:田仁  投稿日:2008年 7月11日(金)23時02分57秒 p2099-ipbfp705kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp
  だから、沖縄の歴史的に見て、どの時点で祭祀儀礼に「サーカ」「ミルク」「ブーブザ」が登場したのか?とか、不幸と言われる仏教との遭遇とは、一体全体どんなモノだったのか?とか、先ず事実を踏まえません事にはねぇ。
知らない以上は、お手上げ!って感じですけど。
お多福&火男orお多福&天狗の「多産を寿ぐ明け透けな神事」たあ、ズバリSEXを描いたモンだって、婉曲表現をしてる内に気付いて下されば良かったのに。
つまりドッチかって言うと、国家の管理体制側よりは、沖縄寄りだと思いますけどね。
布袋=弥勒も、市井の身近な聖人として、中国でも親しみがあるんですよ。
薄っすら、西遊記の猪八戒にも通じるような感じで。
まあ言えば、生命力そのもの!系ですよね。
仏教が国家的に公認されたのが用明天皇の時代で、国教としてアカラサマに国分寺など建設したのが聖明天皇や孝謙称徳天皇の頃で、ソノ頃既に沖縄は日本の版図から意図的に外されてた時代に当たるのでは?
額に印をするのは、そも日本由来には無いでしょ?ソレこそ大昔の海の害を避ける鯨面は額に何か書き(彫り)ました?顔なり体なり、脇の方にかけて流線型を描いてませんでした?奈良朝のは単に唐王朝由来の女性の化粧だってば。
ソレが色っぽかったんだって。
関係無いけど播磨の刑部姫はね、孝霊天皇の孫娘に当たると言ってる癖に、辻褄の合わない伝説らしく「藤原百川」に迫害されて播磨で政争を避けてた話になってますね(何百年飛んでんねん!とツッコミ可能)。
まあ、孝謙称徳天皇の後のゴタゴタとか思い出して、百川を思い出したってだけの事なんですが。
今また文春とか新潮とか五月蝿くてねぇ、女帝を無くそうと暗躍してるでしょ?でもソノ時代時代で庶民のフィーリングに合った事をしてないと、却って皇室は危険になるんですけどね、彼等欲呆けにはソレが判らない。
ネパールの王室が無くなったのは、矢張り我欲のせいでしたねぇ。
日本会議は以って他山の石にするのさえ苦手のようで…。
 

ブーブザ

 投稿者:琉球松  投稿日:2008年 7月11日(金)22時15分40秒 186.154.145.122.ap.yournet.ne.jp
編集済
   ミルク関係サイトのブーブザ画像では "長大なヒゲの男"って感じですね。
 これは「スナノオ・ホムチワケ」を連想しないでしょうかね。

 また、音韻的には「ブサ(菩薩)」以外に「ブーズ(坊主)」の可能性もあるかもしれません。

 それから "額の赤" なんですけど、これはまったくの?、田仁さんの直感に期待です。
 

以上は、新着順301番目から400番目までの記事です。
これ以下の記事はありません。
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