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沖縄県民のヤマトやアメリカに対するスタンスも、大げさに言えは一夜にして変化します。"県民大会" は甲子園のような熱気がなければ逆効果でしょう。
来年の春の甲子園には、沖縄県勢2校の参加が期待されますが、そのうちでも初出場の嘉手納高校の出場は決定的。。。沖縄というところは、こういう何か不思議なタイミングで歴史を動かす力があるように思えます。アメリカ空軍嘉手納基地への海兵隊合同案には"No!!"を突きつけているということですね。
『南の島の甲子園/下川裕治(双葉社)2006 』より
*** ブラスバンドで楽器を握っていたのは高校生だったが、地元兵庫の尼崎高校や尼崎東高校のボランティア高校生だった。これは沖縄県出場チームの応援の伝統だった。沖縄からブラスバンドが応援に駆けつけるためには、飛行機を使わなくてはならず、その予算はどの高校にもなかった。
そこで手を挙げてくれたのが、沖縄の宮古島出身で尼崎の高校の教師を勤める羽地靖隆だった。彼が尼崎市内の高校のブラスバンド部に声をかけ、有志が友情応援に駆けつけてくれるのだ。(略)
6回表は、もう『ハイサイおじさん』の連続だった。延々と演奏がつづき、指笛とともに歓声が高まる。それはすごい音だった。
しかしこんなまとまりのない応援を見たのもはじめてだった。他校の応援は練習を積んできている。最前列の応援部員から指示が出て、それに合わせて応援歌をうたう。学校によってはパフォーマンスまでそろっている。どこで足をあげ、どこでジャンプする・・・と決まっているのだ。
八重山商工は3回戦で智弁和歌山と対戦したが、1塁側の八重山商工のアルプス席から3塁側の応援席を見て「ほーっ」と唸ってしまった。応援団は白と赤のTシャツを着ていて、彼らが座るとスタンドに智弁のマークである「C」が浮かび上がったのである。八重山商工の応援団には、どんなにひっくり返ってもそんなことはできなかった。***
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