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太陽を "所有" しようとする試みはあったようですけど、信仰として押し付けるのがせいぜいですね。
ところで、数日後には「皆既日食」が見れそうで、奄美大島北部は絶好の観測ポイントだそうです。
井沢元彦さんなどは、卑弥呼の共立と死は皆既日食と関係があるとされてますけど、どうなんでしょうか?
これらの天体現象は、弥生時代を推進した渡来人には「太陽がヘソをまげて隠れる・・」みたいなモチーフとなって、とっくの昔にわかっていたはずで、卑弥呼を殺す側に説得力があったとは考えにくいんじゃないでしょうかね。
結局は、天文学の知識としても "誰も太陽を独占できない" わけで、卑弥呼や当時の倭人達が太陽そのものを信仰していたとも思えない。
『逆説の日本史・古代黎明編/井沢元彦(小学館)1993 』より
*** 日本は文明の「幼児期」に、たまたま2度の皆既日食を経験したため、太陽を最高神とする信仰が発達した。その信仰を利用して女王になったのが、太陽の巫女、ヒミコである。ただし、ヒミコは、太陽信仰を定着させたがゆえに、紀元248年の日食が命取りになって殺された。
しかし、殺されたことによって、彼女は逆に永遠の存在となり、その死は「アマテラスの岩戸隠れ」という神話となって長く語り継がれることになった。***
画像は、貝釧から太陽を象った?車輪石『見えてきた古代史の謎(読売新聞社)1989 』
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