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しかし当て字の大和は恐らく、渡来系の思考形態ですね(当て字過ぎますやん!大神が狼とか、凄い思想世界からの飛躍が伴うって言うか)。
与那国の海底神殿は、当時としては(周辺の邑々含む)各国の大使館を置いた様な場所だったんでしょうが、何分相当古いでしょ?
西日本は殆どアラユル人の波が西から来て東に向かう形で、ソレはほぼ最古に近い海人の流れでさえもソウ。
但し、海人の移動ですら何度も有った可能性が高く、天孫と後に美称で飾る渡来系の移動も何度もあった。
で!超大雑把に言いますと、日蝕から逆算出来る卑弥呼の時代は凡そ西暦200年頃で、ソノ頃の巨大墳墓の集まる辺りは中国地方とか精々兵庫県の西半分辺り迄。
後、名護先生が今現在、在職してられる四国もソノ当時は先進地でかなり重要な役割を担ってましたよね?九州の国東に対面してる辺りとかね?
後で幾らでも資料を見て頂いたら良いんですが、岡山の総社市ですっけ?何か大きいのとか有りますよね?奈良はまだ当時は比較的田舎なんです。
近畿って地域名はそもそも王土の地周辺って意味ですが当然ソレは後世の命名で、邪馬台国の当時はまだ奈良も京都も無いんですよね…。
エジプトのハトシェプストとかネフェルティティとかクレオパトラとか、全部有名な女王だけども滅茶苦茶時代は離れてたりとか、後世から見れば大して実感涌かないんですけども。
まあ言えばそんなのと似たような事情で、時代区分は重要ですう〜。
ハッキリ言って、私個人的には、秦王国の九州から機内への移動を御座なりにして、未斯欣王子の渡来場所を時代に反して無理矢理北九州に持って来ようとする古田史学以外には何も別に、邪馬台国に関しては含む所は無いんですけどね…。
兎に角、巨大墳墓や神殿の労力と、交易等の中心地になる現代用語のハブ(蛇じゃない)、大使館代わりに巨大でこそ無いが各地の様式の墳墓が混在して一箇所に集まる事、それらはソノ当時ソノ当時の近隣の中心地を表します。
ソコは押さえときませんと。
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