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僕も、木村教授の著書『南海の邪馬台国(徳間書店)1992』にワクワクした一人ですね。
しかし、せっかく「水行10日」で来れたのに「陸行1月」でサヨナラホームランを打たれた感じがしたものです。
この「陸行1月」。。。可能性としては、奄美笠利湾から山越えで古仁屋あたりまでの行程、沖縄島辺戸岬から南部島尻地方への2つ(徳之島説は無理かと)で、とても一月を要するとは思えず、しかも陸行よりも水行のほうがはるかに安全で早い!これ以上水行できないから陸行となったと考えるべきかと。。。
また、当時、奄美と沖縄はすでに陸続きではなかったわけですね。
魏志「倭人伝」の記録は、福岡あたりでの情報をかき集めて、とにもかくにも報告書として提出しなければならなかったわけでしょうから、前後錯綜などがあるのではないか、地名「邪馬台国」はやはり奈良盆地で、"ワの思想"の出自が沖縄なのではないかと。。。つまりヤマトとワとが混同されてしまったのではないかと考えたわけですがどうでしょうか?
写真は、貝輪の製作過程(土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアム)。
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